2021年のノーベル物理学賞にアメリカ・プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さんが選ばれたというニュースがありましたね!
真鍋さんは地球温暖化を研究する草分け的な存在で、1950年代からアメリカに渡りコンピューターを使って気候の変動を研究しており、現代の地球温暖化予測の枠組みを築いたのが評価され受賞に至りました。
今回は、そんな一躍時の人となった真鍋淑郎さんの兄弟や実家についてまとめてみたいと思います。
真鍋淑郎さんの実家は医院で4人兄弟の末っ子
氏名:真鍋 淑郎(まなべ しゅくろう)
生年月日:1931年9月21日(90歳)
出身:愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)
<学歴>
・新宮尋常高等小学校
・愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)
・大阪市立医大(1年で中退)
・東京大学 理学部 地球物理学科
・東京大学大学院 理学系研究科
真鍋さんは、4人兄弟の末っ子として育ち、祖父、父も医者で村で唯一の医院を営んでいた。
真鍋さんの兄弟も親戚も全員医学部へ進学していました。
当然自分も医者になるものと思い込んでおり、旧制三島中学(現県立三島高校)を卒業すると、大阪市立医大に入学し、医者になるために学び始めました。
しかし、医大に入ってみて”自分は医者には向いていない”と痛感し1年で辞めてしまいます。
真鍋さん曰く「記憶力は悪いし手先は不器用だし、いざとなると頭にカッと血が上って何をしていいかわからなくなる性分」だったとのことで、自分の性格から「研究者の道が一番合っている」と思ったとのことです。
ほとんど「腰掛け状態」だった医大生活の1年後の1949年春、新制に替わった東京大学の第一期生として入学しました。
同年、湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞を受賞しましたが、「数学のできる優秀な人でないと理論物理学は無理」と思い、地球物理学を専攻科目に選んだそうです。
実家の医院は誰が継いだ?
真鍋さんの御兄弟は、皆さん医学部に進んだとのことですので、祖父、父と代々医者としての受け継いだ稼業はどなたかが継いだのではないでしょうか?
調べてみましたが、真鍋さんの御兄弟に関する情報は、残念ながら見つかりませんでしたので、実家の医院がどうなったかは分かりませんでした。
現在、真鍋さんの生家は誰も住んでおらず、ご兄弟の誰かが稼業を継いでいたとしても
生家でではなく、別の場所で営んでいることが予想されます。
画像引用元 https://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20211006/8000010986.html
といっても、真鍋さんは現在90歳ですので、年上の御兄弟が現役で医師をされていることは
考えにくいと思います。
ここから先は、”私の勝手な想像”でしかないのですが、代々医師をされてきた家庭ですので、
真鍋さんの御兄弟の誰かが医師という稼業を継いでいる可能性は高いと思いますし、その御兄弟の御子息が同じように医師を継いでいる可能性も高いと思います。
先程も書きましたが、真鍋さんの御兄弟はご存命だとしても高齢なので現役ではないと思いますが、そのご子息であればまだ現役で医師をされている可能性は高いのではないでしょうか。
真鍋さんの兄弟が営む医院?
Googleストリートビュー
調べてみると愛媛県四国中央市内にはいくつもの病院がありますが、その中に『真鍋医院』という名称のクリニックが存在します。
しかし、愛媛県四国中央市だけでも『真鍋』さんという姓はおよそ1,600人いらっしゃるので先程の『真鍋医院』が真鍋さんの御兄弟の御子息の病院かどうかは分かりません。
もしかすると、他の総合病院などで勤務医をしてらっしゃる可能性もあるのではないかと想像できます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は、真鍋さんの御兄弟やご実家について調べてみました。
最後に記事のまとめをしておきます。
●ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんは、4人兄弟の末っ子として育った。
●祖父、父も医者で村で唯一の医院を営んでおり真鍋さんの兄弟も親戚も全員医学部へ進学。
●真鍋さんも医大に進学したが”医者には向いていない”と気付き研究者の道を志す。
●真鍋さんの生家は現在誰も住んでおらず、御兄弟に関する情報も不明。
●四国中央市に『真鍋医院』というクリニックがあるが真鍋淑郎さんと関係があるかは不明。
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